さて、夕飯は何にするか

昨日は仕事があったのだが、朝、食べるものを用意する気になれず、洗濯をささと済ませ家を出る。久しぶりに朝マックをしようではないかという決断だ。朝マックの度に毎回思うことなのだが、恐らく今後も朝マックをする度にここに記すだろうし、ただ今回は一回目というメモリアルであるため大いに書き残そうと思うのは、マクドナルドは朝マックが全てであってそれ以外に必要なものなどほとんどないということだ。朝だけ、という限定に弱い日本人の心の隙間に上手く潜り込んだ朝マックなのだが、じゃあ特別美味しいものなのかと言われれば、まあそこは所詮マクドナルドなわけで、だが侮るなかれマクドナルドでもあるわけだが、朝の空きっ腹には丁度いいのではないかということになる。最近ではマックグリドルなるものが登場し、朝マックも活気付いているわけだ。大いに書くと大風呂敷を広げた割にはこれ以上あまり書くことが見つからないが、やはり朝マックはいいんだよ。
それはそれとして、豊かさとは何だろうかという問いに、豊かさとはこういうものであろうと答えてくれる映画があるとするなら、それはナンニ・モレッティの『カイマーノ』だろうと今日は思った。ここでの映画の豊かさとは、資金であり、撮影現場にどれだけお菓子が豊富にあるかというのが最重要事項であるという見方もあるわけだが、そういった豊かさではなく、映画そのものの持つ豊かさの話で、どうしてこんな映画が作れるのかという不思議さでいっぱいだ。ただこの映画は現場のお菓子の話でもあるわけだ。現場にお菓子を用意できるプロデューサーになれない主人公の話であるし、イタリアの政治の話でもある。MADE IN イタリアの靴を履いていてもイタリアの政治はわからないが、そのような政治も労働である映画製作もそして家族も、全てはやはり隣り合わせだし地続きだ。今年はそういう映画を多く見るのかもしれない。そしてやはりあの愛が溢れるカーチェイスを見れただけで大満足だった。
この映画のように豊かな生活を送りたい豊かな人になりたいものだと思い、昼飯を済ませ、多摩川の土手っぺりに繰り出してみた。正確にはそういった理由ではなくただ単純に気持良さそうだというだけの話を今少し脚色してしまった自分はまだまだ豊かではないのかもしれないが、脚色を施せるだけ豊かなのかと自問自答する。土手っぺりにはGWを豊かに過ごす人々が会話を楽しんだり、昼寝をしたりしていたし、対岸ではバーベキューなどで盛り上がる人々が見られた。大音量でTRFの曲を流す人々もいた。土手っぺりは Boy meets Girl か。自分は本を読んでいたのだが徐々に眠くなり、やはり昼寝してしまった。ふと目を覚ますと日も傾き始めているではないか。そそくさとリバーサイドを離れ、ミスドに駆け込む。まさかのポン・デ・金ゴマ売り切れにショックを隠せないが、ポン・デ・アーモンドも美味いからなと立ち直り、3つほどお持ち帰り。というわけで、今、ビールとドーナツという恐らく普通の人なら「その組み合わせはあり得ない」という組み合わせに個人的には満足を覚えながらの夕方5時のブラインドタッチなのだ。