ありがとう、さよなら

ひとは誰でも死ぬものだ。著名な人たちの訃報が流れると、ああ、あのひともとうとう死んでしまったかと思うこともあるけども、やはりまだ死んで欲しくなかった、あまりにも早すぎる、何故死ななければならなかったのかと思うことがほとんどだ。でもそれはこちら側の傲慢な考え方かもしれないとも思う。
死ぬことに抵抗することって殆どの場合で困難で、死が近づいてくると、一気にかまたは徐々にかは別としても、それに吸い込まれていってしまう気がする。彼の場合、いつから吸い込まれ始めたのだろうか。客観的に見るとそれはあまりにも唐突だったけれども、彼の中ではそれはゆっくりながらも身近にまで迫ってきていたのかもしれない。これが最後のロンドン公演だという台詞が、なんだか自らの幕を降ろすための宣言みたいで、そういえば噂されていた新作のレコーディングは進んでいたのかなと思う。ああ、哀しいな。
「BEAT IT」を聴いていると、本当にかっこいいってこれだろと思った。かっこいいという形容がこんなに似合うのは滅多にあることじゃない。そのままの流れで「BILLIE JEAN」を聴いてみると、やっぱりこれもかっこいいわけだ。ちょっと飛ばして「THE LADY IN MY LIFE」でしっとりして、で、せっかくなので「WANNA BE A STARTIN' SOMETHIN'」に戻ってみるけどまたかっこいい。どうやら徹頭徹尾かっこいいみたいだ。「DANGEROUS」とかも聴きたいと思い始め、そろそろ動いている彼が見たくなって、動画サイトから引っ張って来てiTunesに入れてある1995年のMTV VMWでのパフォーマンスを見てみると、流石、動いている彼はかっこいい。ああ、やっはり哀しいな。
そう、あの彼の死も唐突過ぎた。それこそ彼の中でもそれは準備を整えることなど不可能なほど唐突だっただろう。動画サイトで、彼がリングの上で皆に囲まれ、必死に蘇生しようとする様を見たが、ああ、このまま彼は亡くなっていったのかと思い、泣けた。リングの上で最期を迎えたことを彼自身はどう考えるだろうか。考えることもなく、彼は亡くなってしまったのだろうか。それとも、もう俺は駄目なのかもしれないという生死の狭間で何かを思ったのだろうか。そればかりを最近考えている。リングの上で死ねれば本望だという常套文句が彼の頭に浮かんだのだろうか。
(ここからの文章では映画「レスラー」の結末がどういうものかということを誰もが察することが出来る内容になっている、というかこの流れで映画「レスラー」の話をするという宣言が、もう映画の結末を言ってるようなものだけど、)ミッキー・ロークがカムバックを果たした「レスラー」という映画は、日本ではちょっと信じ難いくらいの巡り合わせで公開を迎えた。ミッキー・ローク演じるランディは、彼の居場所、居るべき場所が、リング上でしかないと悟った時、常套文句を口にはしないが、自らの命をリングの上に投げ出して見せた。自らの命を彼の聖域であるリングに捧げたってことだ。不器用だったが、それがランディの生き様だった。
この映画と現実とはまったく別の話で、映画ではほとんど自裁だったわけだが、現実は大きく分類すれば事故だった。しかも彼は受け身が巧みなレスラーだった。はっきり言って個人的な考えとしては、幾らリング上だったとは言え、死んでも死にきれん最期だったと思い、また泣けて来た。
そんなことをつらつら書きながら、「OFF THE WALL」とか「SMOOTH CRIMINAL」とか「YOU ROCK MY WORLD」とか聴いたが、とにかくかっこいいことに変わりはなかった。一辺倒でかっこいい。ああ、やっはり本当に哀しいな。
今日はずっと雨が降ってた。