長々と5月でした。

喫煙家たちの午前0時

先日、仕事が夜中3時集合だったものだから、マクドナルドで暇でも潰すかと渋谷のマクドナルドに向かったのだが、全面禁煙になっていた。渋谷には自分が知っている限り4店舗のマクドナルドがある筈だから、時間も有り余っていたので、4店舗すべて回ってみるとどこもかしこも全面禁煙になっていた。どうやらどの店舗の店内も改装され、上品ぶった感じになっているようだが、所詮ジャンクな商品並べてるのに、全面禁煙だなんて、優等生ぶった振る舞いしやがってる、くそったれだと唾棄したくなった。そう書くと喫煙がまるで不良のする行為みたいに聞こえてしまうのだけどね、そーいうことではないけど、半ばそーでもあるのかしらてとも感じる。だったら飲酒も不良のする行為かと問うとこれもまた半ばそーでもあって、そーでもない。要するに喫煙も飲酒も未成年は駄目だよっていう秩序があるからで、飲酒を公明正大に容認しているお店には未成年は入店出来ないのだから、未成年やお子ちゃまも多く愛用するマクドナルドが全面禁煙になるというのは理にかなってるじゃんって寧ろ納得してしまった。喫煙できる場所、それは成人した大人のみが立ち入れる場所でなければならない、それって実は最もな話だったりするのだ。

三ツ矢堂製麺

5月は何だか、中目黒へ行ったり、中目黒を通ったりする用事が多くて、頻繁に三ツ矢堂製麺に行けて嬉しい限りだった。柔らか過ぎのチャーシューが5枚のったつけめんを、麺は大盛り氷締めで注文するのが専らだ。とにかくチャーシューも麺もスープも矢鱈滅多らうまいんだもんなぁ。スープは酸味が利いていて、麺の味を楽しむためかあっさりしていて程よい。ゆず風味のつけめんというのは実はあまり好まなかったが、三ツ矢堂製麺もちもちの木だけは別格だわな。そんなあっさりスープも〆に割スープを入れると、豹変。こってりんこ。しかもこれがまた矢鱈滅多らうまいのだ。こんなにもうまいスープ割は他にはないだろう。残さず飲みきれるほどにうまい。最強スープ割り。

ときめきの午後6時

正直に言うと、女性店員の可愛さに負けて服を買ってしまうことが幾度かある。先日もそうだった。確かに服自体も気に入ったのだが、それ以上に気に入ってしまったのが女性店員の笑顔だった。彼女としたら、たかが客に過ぎない。っていうかこっちとしたって、たかが店員に過ぎないと言ってしまえばそれだけの話だ。しかし、彼女の話し方というか、すこし舌足らずな感じとか、自分が着たい服の店のWOMENSを着ていて、それが抜群に似合っているという現実を目の前にして、ときめかないわけがない・・かなり気持悪い方向に走り出している気もするが、加速したら減速するまで時間がかかるので加速させたまますすめようではないか!、ときめかないわけがないのだ。もっと簡単に言える。めっちゃ可愛かってん。ただそれだけやねん。こういうときに自分が関西人だったらよかったのにと思う、というのは大きな嘘で別に微塵も思わない。ただ語呂の良さとか、流れとか、そんなことだけで、使ってみたくなった関西弁。ただそれだけやねん。
今思えば、彼女は、以前にもあの店で、その時は本当に買うつもりがなかったのに、つい可愛さに負けて、薦められるが侭に、試着して、そして買ってしまった、あの時の彼女だったのではないか。そう、あのとき、丁度一年ほど前に買った服を、今日、着た。人間というのは、男というのは、自分というのは、本当に馬鹿なもんだ。去年、可愛いと思った店員も、一年過ぎればすっかり忘れていて、また同じ過ちを繰り返す。単純明快、単細胞、ミトコンドリアってなもんだ。

喫煙家たちの午前1時

しかし、そんなの関係ねぇよ、くそったれ、と牙を剥き出しにして吠えてみるのもたまにはいい。分煙って言葉は大辞林にも載っているのだけど、マクドナルド。そして何より、渋谷の4店舗全部を全面禁煙にしなくてもいいんじゃないか、マクドナルド。全面禁煙にも限らず4店舗すべて24時間営業という不健全さは放置するのか、マクドナルド。おお、マクドナルド、どうしてそんなに非情なのかいな。喫煙者を蔑ろにする風潮は一体何なのだろうかいな。神奈川県では受動喫煙うんだらかんだらで、県内のマクドナルドで一切喫煙が出来なくるという無茶苦茶をやってるのは知っているが、個人的には法を冒しているわけでもないし、寧ろ税まで納めているし、10月からの増税にも対応するぜ俺の財布!にも限らず、なんだろねこの仕打ちは。クリーンな街でも作りたいなら、特に渋谷など、全面禁煙にする前に、ごみ拾いでもすればいいじゃないか。珈琲出す店が禁煙という、旅館に浴衣が置いてない(この例えが適切かどうかの反論は一切受け付けない。だって思いつかなかったから。寧ろ代案募集中)、くらいのサービス精神の稀薄さに反吐が出そうだ。

Interlude


a b
c d


a Kanye West featuring Dwele "Power"
 King Crimson 使いきたぁー Dweleの使い方も堪らねぇー
 音は前作から地続きな感じぃー


b Estelle featuring Nas "Fall in Love"
 え、これEstelleの新しいのに入る予定の曲?
 Mary姐さんともやる予定でしょ?即、買いますね。


c The Roots "Dear God 2.0"
 え、Monsters Of Folk!しかもまんま2.0!


d Mark Ronson featuring MNDR & Q-Tip "Bang Bang Bang"
 はい、かっこいいですよ。

喫煙家たちの午前2時

前から気になっていたが、これはマクドナルドに限った話ではないけれど、結構な親たちは平気な面して子供を喫煙席に連れ込んで、DSさせて放置して、自分は煙草を吸う。そもそもあの「マックでDS」っていうやつが気に喰わなくて、そんなに子供を取り込みたいかと。まぁそりゃそーなんだ。劇場版アニメの興行収入がいいのと同じことで、子供が来れば親も来るからその分金も稼げるってのはそりゃそーなんだ。子供を呼び込んで、それと一緒についてくる親、でもその親が煙草吸うってマクドナルドは思ってないんだろうね、きっと。社会はさ、一体どっちを望んでるんだろね。未成年の喫煙を望まないのか、それとも子供は親の背中を見て育つという言葉は嘘なのか。まぁどっちでもいいけどさ、少なくとも自分に子供が出来たら煙草はやめるだろうな。親の背中を見て育ったから。っていう着地点。

そして午前3時

出発です。車飛ばし過ぎでした。運転は自分ではありませんが。海ほたるの上で強風に煽られて運転手大変そうでした。この日の仕事はとても楽でした。知り合いとひたすらお喋りを繰り広げるばかしで、注意力が散漫になり、つまづいて転びそうになりました。もう殆どどんな話をしたかも覚えていないほど大した話ではございませんでした。
しかし油断大敵!日焼け!日焼け!日焼け!あれから2週間ばかし経った今、両腕の皮、剥け始めています。

百年

ばあちゃんが死んだ。享年百だった。
先月の27日、ばあちゃんが死んだ日。その日は朝から仕事していたのだけど、高い所で作業するときがあって、一通り作業を終えたらば、ふとバランスを崩し、踏み台にしていた台で足を滑らして、丁度真下にあったちゃぶ台の上に背中から落下した。幸い怪我はなかったが、その後に携帯電話をふと見ると、母さんから着信一回と留守番電話一件「時間が空いたら電話頂戴」と入っていた。ばあちゃんの具合が最近あまり芳しくないと聞いていたのもあったが、瞬間的に、ああ、ばあちゃん死んだんだとわかった。それもあって、岩手にあるばあちゃんの家に着いて、母さんに「ばあちゃんは何時頃死んだんだ?」と聞いたら、やっぱりそれは9時半頃、自分が落下した時間ぐらいだった。


ばあちゃんはここ数年、だいぶ衰弱していて、殆ど寝たきりで、入退院を繰り返していた。胃に穴をあけて流動食にするか、しかし体力的に手術は無理だろう、ならばどうするかという家族会議のために親父が27日の朝に東京を出発したのだけど、親父は母親の死に目には間に合わなかった。母さんも早速その日の午後にはばあちゃんの家に向かった。自分は葬式には間に合うようにと、27、28、29日の3日間の仕事だったから、27、28日だけはしっかりと働き、29日は代役を立てることにした。
29日は朝から喪服を買いに行った。それは今まで幸いにもあまり着る機会がなかったからなのだけど、普段スーツは全く着ないから、お店の人にサイズを全て測ってもらいワイシャツからネクタイまで一式揃えた。ズボンの丈を30分程で直してもらい、その脚でそのまま東京駅へと向かった。丁度ゴールデンウィークの初日だったので、駅は人で溢れかえっていた。これでは新幹線の席が取れないのではないかと不安に感じながらも人混みをすり抜け、足早に切符売り場へと向かった。盛岡駅を18:00発のバスに乗らなければならかったのだが、それに間に合う14:56発の新幹線はやはりすでに満席だった。ただ14:56発の新幹線より前に出発するものの、所与時間が長い新幹線があり、切符売りのひとに「それは何時に盛岡に着きますか?」と聞いたら「19:20です」と言われ、「そうですか・・それじゃ間に合わないなぁ」と独り言のように言っていると、切符売りのひとがこちらを向かずに何かタッチパネルのようなものを操作しながら「今丁度、14:56発、ひとつ空席出ましたよ」と言った。自分は間髪入れずに「それ買います」と即答した。なんとか無事、17時半頃に盛岡に到着する新幹線に乗り込み、運良く取ることのできた窓側の座席に座り、遅い昼飯を食べながら、これはきっと、ばあちゃんが呼んでくれたのかもしれないと思ったのだ。
このふたつの偶然とは呼びきれない偶然を前に、説明の不可能な力っていうか、超自然現象っていうか、そんなものたちの存在について考えてしまいそうなものだが、難しいからやめた。
盛岡を18:00発のバスに乗り、暗闇に染まった山々の中を左に右にと揺られること2時間余り、漸くばあちゃんの家に辿り着いた。当り前のことだが、既に通夜も始まっており、親父も親戚一同も酒で腹をたらふくに満たしていた。玄関を抜けて、まずばあちゃんに手を合わせた。棺の中のばあちゃんはぐっすりと眠っているようで、肌つやもあって、皺も少なくて、もう本当に今にも起き上がりそうだった。親戚一同に挨拶を済ませ、自分と同じく遅れて来た従兄弟とふたりで遅めの夕食にありついた。壁に掛った、まだ茅葺き屋根だった頃の母屋の写真をふたりで眺めながら、昔を懐かしんだ。ばあちゃんの家に来て初めて蠅取紙を知ったこと、それに髪の毛がへばりついて大変だったこと、風呂と便所が母屋の外にあったこと、堀炬燵、仔牛へミルクをあげたこと、話始めればきりがなかった。そうこうしているうちに通夜もお開きとなり、再び棺の中のばあちゃんと対面した。ばあちゃんの周りは真っ白な菊の花だけで埋め尽くされていたので、その上を、イロトリドリの様々な花で覆っていった。黄色や赤色、特に青色の花を挿した瞬間にばあちゃんの周りは華々しくなった。その夜は、自分を含む従兄弟3人と寝ずの番で線香守りすることになった。たが、酒も入り、仕事も続いていたこともあって、ふたりの従姉妹が起きてきて「代わるよ」と言ってくれた言葉に甘え、歳上の従兄弟2人が寝付いたのを見計らい、3時半頃には自分も炬燵の中で眠りに着いたのだった。


翌朝、目が覚めると家の中は既に動き出しており、自分と同じく遅れて来た従兄弟ひとりと自分だけが炬燵で悠長に眠り惚けていた。シャワーを浴びて、歯を磨き、朝食を済ませて、喪服に袖を通した。ばあちゃんが入った棺を、親父たち息子と、上の従兄弟の孫たちが霊柩車に乗せた。火葬場に着いて、今度は自分も輪に加わり棺を焼き場に運んだ。棺の窓を開けて、本当に最後のばあちゃんの顔を見た。やはりそこには百とは思えないくらいに、肌つやもあって、皺も少なくて、もう本当に今にも起き上がりそうなばあちゃんがいた。
数年前、正月に、ばあちゃんの家で幾人かの親族が集まったときがあった。もうその頃には、ばあちゃんは殆ど自立することすら困難になり、記憶も曖昧になり、自分のことを親父だと勘違いしていた(というのも今回、親父の若き頃の写真を初めて見たが、確かに今の自分を見ているようで驚いたのだ)。しかし意識だけはしっかりしていて、こちらが騒いでいるのはわかっているようで、ばあちゃんが震える左手を伸ばしてぽつりと言った、「酒、くれ」。このばあちゃんの台詞を決して忘れることはないだろうと思うのだし、実はこれが自分にとっては、ばあちゃんの口から聞いた最後の言葉だったように、今、振り返れば思うのだ。
確かに今にも起き上がりそうな棺の中のばあちゃんだったが、無論、棺の中のばあちゃんはもう何も話してはくれないのだ。もう何も。そっと触れてみたばあちゃんの額や頬は冷んやりとしていた。そうしてばあちゃんは焼かれて、煙になって、青空に飛んでいったけど、みんなとの別れが惜しかったのか、みんなでばあちゃんの骨を拾っているとき、突如、火葬場は雨に濡れた。
百年を生きた骨は流石にすかすかで、細かく砕け散っていた。そんなばあちゃんを骨壺に納めて、一度家へと戻った。家に入る前に水と塩でお清めをするわけだが、岩手の山奥の慣習なのか、口に水を含んで濯ぎ、口の中も清めた。そして、お坊さんが来て、ありがたいかありがたくないかは別として、読経してもらい、還骨法要ってやつを済ませた。血の気のひいた脚を崩そうとしても自由が利かず、苦しんだ。その後、墓へ向かい、埋葬。ばあちゃんの骨を土に還した。こうしてばあちゃんの葬式は滞りなくすまされた。


次の日からは専ら日曜大工となった。ばあちゃん亡きこれから、岩手の山奥の広い一戸建てに住むのは、ばあちゃんの(既に他界してしまった)長男のお嫁さん(つまり親父の兄さんのお嫁さん)だけとなってしまう。自分たち親族はいつからか彼女をかあちゃんと呼ぶようになっている。そのかあちゃんが生活し易いよう、母屋に隣接した納屋の中に防塵、防寒用の屋根をつけたりした。そんな日々を何日か送り、初七日を迎え、自分は仕事もあったため、両親より一足先に東京へ戻ることにしたのだった。
確かにばあちゃんの死は悲しいけれど、百まで生きた事実があり、それも病死や事故死などではなく、老衰だったことを思えば、やはりそれは大往生というやつで、立派だな、凄いなと思えるのだ。70歳、80歳近くの親族たちが、あとこれから20年、30年近く生きるってことは大変なことだと口々にしていたこと思い出す。自分などは、あと70年近くも生きるということだ。今からそのことを考えると気が遠くなる思いだ。とてもじゃないが無理だとしか思えないほどだ。百年という時の流れを生き切る生命力、それは、ばあちゃんの体内で百年、一刻も止まることなく脈々と鼓動し続けた心の臓であり、気力、精神、それらを培ってきた生活、ばあちゃんを支えた家族、つまりばあちゃんを取り巻くすべての環境なのだ。そのすべての環境がばあちゃんの生命力となり、百年という壮大な年月を旅し続けさせたのだ。百年の最期の姿などは実に美しく、そして、遂には黒煙となり、芯だけが残った。その偉大さを前に、自分はただただ合掌し続けた。(了)


意味を求めて無意味なものがない

やはりものは言い様で、どうしてそういう言い方をするのかと癪に触ることというのがあって、W君はなんだかどうして、交戦的な口ぶりでこちらに食いついてきた。これが仕事ではなく、自分が今以上に大人気のない人間で、理性を統制しきれてなければ、「お前、何だその言い方。言い直せ。」と間違いなく言っていただろう。それは確信できるのだ。しかしそのいらっとする感じを飲み込んで普通に受け答えていた。ただひとつわかったのは、実は言い方の問題というよりは、W君の存在自体が生理的に受け付けてないのではないかということだ。それは短期間だけのヘルプで来た人が、一瞬にして彼への苛立ちを見せたからだ。「何だあいつは」とその人が言った時に、ああ、W君の存在とは誰にとっても癪に触る存在なんだと思ったのだ。それというのは非常に非情なことなのだけど、世の中にはそういう人というのは偶にいるわけだ。そう思うと僕はW君に少し情が湧いてしまうが、きっとそれは間違いで、彼の人となりがそうさせているのだから、致し方ないことなのだろう。ただ自分もそういう人にはならないように気をつけなければならないと思うのだ。しかしながら、そんな彼と共にする仕事も3月末日をもって終わり、4月の最初の週はちょこちょこと仕事したのだけど、そんな日々も終わり、ああまた何もない日々が始まったと思う今日この頃だ。
五反田の駅のすぐ近くを流れる名前も知らない川の川面は、上流から流れてきた桜の花びらでいっぱいになり、流れのうねりとともに、花びらたちが浮いては沈みを繰り返していた。4月も気付けば中盤に差し掛かり、相変わらずの花粉最前線異常ありな自分だが、短期間だけのヘルプで来た人が、「この点鼻薬がいい」とナザールを薦めてくれたので、即買いに行った。これはとてもいいいやと気付き、常備薬として鞄に忍ばせている。即効性がある。しかし今年はあまり花粉など飛んでいないのではないかと思えるぐらいで、最近ではへっちゃらだ。
そんな3月の終わりから4月の頭にかけては、ゆらゆら帝国の解散、あるいはNujabes木村威夫氏や木村拓也コーチの他界など、とても言葉では表せないほどに驚いた事実を見たり聞いたりした。

誰かに金を貸してた気がする そんなことはもうどうでもいいのだ

あおいさん、歌解禁したんだね。「ソラニン」でも歌ったんでしょ?THE BLUE HEARTSですかい。ふーん。「1000のバイオリン」て確か深作欣二が人生で一番好きな曲って言ったとか。個人的にもTHE BLUE HEARTSの曲の中では、今回のCMで使ってる「1001」が一番好きだなぁ。あおいさん、下手さが具合がいいっすよ。