「はい、花粉症です」と自己紹介をする日々

ああ、はなみず止まらんね。目、かゆいね。つい先日なんかは、透明なビニール傘が徐々に白く塗り潰されていくと同時にずんずんと重さが増していったりとかしとったのに、昨日今日は暖かくて、って季節の狭間だというか、季節曖昧。
仕事、今日は夜だけ昨日は休み、と相変わらず微温湯に浸かったまんま。長期の仕事のときの休みの日って大概が前日夜を更して、その日は昼とか夕方まで寝ちゃえって感じで、一日が殆ど終わってから出掛けたりして、とても無駄に一日を使うのだけど、今一緒に仕事しているひとが「休みの日の午前中を制する者は一日を制す」って言っていたので、前の日の晩はとっとと寝て、昨日は午前中から活発に活動してみた。と言ったて格段な遠出をしてみたりとかは出来ないけども、街をぶらぶらしてみたりする。
秋葉原に用事があったものだから、とりあえずそちらへ。ヨドバシに寄ってふらふらと。XPERIAの予約が始まっていて、レプリカみたいなのを見てみたら、iPhoneより薄いしパネルがでかい。iPhoneではない人がiPhone見るとパネル大きいと言うけど、XPERIA見てからiPhone見るとiPhoneのパネルが小さく感じるほど。これiPhoneにする前にdocomoから出てたら、確実にこっちにしてたなって思ったけど、iPhoneがここまで世間を席捲しなければ、XPERIAだっていつ出て来てたかわからんし、要するにやはりiPhoneて革新的な端末なんだね。そんなこと考えてる時に、隣で同じくXPERIAを見ていたサラリーマンらしき人が店員に「これってiPhoneより速いんですか?」っていう、それはもう漠然とした質問していて、何がだよって心の中で突っ込んだんだけど、やはり店員も「え、何がですか?」って聞き返してた。そのサラリーマンは「あの・・その・・」ってしどろもどろになってた。そんで次にイー・モバイルのポケットWiFiをのぞいてみる。2000億円くらいの負債を抱えて会社更生法の適用申請をしたWILLCOMの端末なんかはほとんど使ってないのだけど、毎月、お金はしっかり引き落とされているのでそろそろ解約して、ポケットWiFiでも買おうかと。検討中。
帰りに神田で降りて三田製麺所でつけめん大盛。あつもりにしたが、失敗だった。やっぱり流水しておいたほうが麺がうまい。個人的には一風堂のつけめんとか風雲児よりよっぽど三田製麺所のほうが好きだ。安いし。ただ風雲児は店員が偉いべっぴんさんだから行きたくなるよなぁって思うのだ。
そして新宿で「ハート・ロッカー」。最低だ。最悪だ。胸糞悪ぃ。みんなで頑張って爆弾処理に行こう、イラクに泊まろう、みたいな映画だ。あるいは、USアーミー爆弾処理班の仕事紹介のイメージビデオだ。それでも俺は戦場に行く、というメッセージか。明らかに戦闘意欲を昂揚させている。反戦とかそういうこととは別に、軍隊に入ろう、爆弾処理の記録を作ってヒーローになろうみたいな糞みたいなことを2時間以上も観せられた。まさか21世紀初頭にこんなのにアカデミー賞をあげちゃうなんて、アメリカという国はまだまだ異国で糞垂らしまくる気なんだな。立派な国だ。アメリカ映画の面汚し的愚作じゃねぇか。中指立ててやるぜ!

はやいものでもう3月

花の妖精たちが、甚だしく放たれて、人々の鼻にこんにちわとも言わず土足であがってくるわで、こちらは鼻垂れて、そんな殆ど目にも見えない小さい奴らに苦しまされる僕らはなんてちぽっけな生き物なんだと思い知らされるシーズン突入。
マスクをしないときがあるとして、すると確実に妖精たちが入ってくるわけで、すると刺激されて鼻水がでますわな、そしたら自然と垂れてきますわ。そしたらじゅるっと吸い込むじゃない。そのときさらに、妖精たちも吸い込んでるじゃない。となると、やっぱり絶対にマスク着用じゃない。でも毎年繰り返し同じこと書くけど、仕事のときってマスクって鬱陶しくてしたくないというのがあるわけで、ああ堂々巡りというか、本当にご勘弁を、と膝をついて天に向かって手を合わせたくなるが、無神論という大袈裟なものではなくとも、神様って心の問題でしょ、ははは、くらいに思っているのだからこんなときだけ都合が良すぎるという話なわけでございます。


今回の仕事は過去にないくらいに微温湯に浸かっている様なものなので、毎日お茶して帰れるくらいで、その後の社会復帰の困難さが今から心配されるくらい逆に恐しい。休みが多過ぎで、つい先日までは5連休もしてしまったりで、それはそれで身体が鈍る。
ただ、先日は、今回の仕事で初めて激しくフラストレーションが湧き上がっていらいら、むかむか。というよりあんなことで憤ったのはこの仕事を始めて初めて。あんな愚鈍なやつらは本当にご勘弁。皆が狭くて苦しんでいるのに、自分等だけひと部屋に仕事道具をぶちまけて、すこしもまとめようとしやがらないという身勝手さ。自分たちだけ楽できればそれで良しとしちゃってさ。みんなが幸せになれる道を選ぶのが自分たちにとっても幸せじゃん。多勢でひとつのものを作り上げていくってそういうことじゃん。
あまりに許せなかったので、「すいません、少し寄せてもらってもいいですか?」と丁重にお願いしたらば「うちに泣けってことですか?」というぱっぱらぱーな返答。こっちは泣いたところから始まってるのに、なんだそりゃ?
同じ土壌でも畑が違うとここまで仕事に違いがあるものなのかね。というよりは殆ど人間性なのか。


先日、友人が「「パレード」が本当に酷いから是非観て欲しい」と太鼓判を押してきたので、わくわくしながら観に行ってきた。期待したほどではなくがっかりしたものだが、並に良くない。嗚呼、何て緊張感のない画作りなのでしょう。このショットに懸けるという気持は微塵もなく、素材としての映像の羅列。そして何て酷い音なのでしょう。道徳観というか社会の闇というかそんなのを薄っぺらく描くネガティヴな邦画が作られ続けてるけど、どれもこれもつまらない。なんかそういう原作が多いのだろうか。
原作ものと言えば今年は「ノルウェイの森」やるけど、キネ旬を本屋で立読みしていたら、李屏賓の中国語と英語の二ヶ国語で書かれた本が出版されたとかで、その中では「ノルウェイの森」の悪口が沢山書いてあるらしい。「俺はビデオでなんかやりたくなかったのに監督がビデオでやりたいってうるさいからしょうがなく付き合ったけど、ベースになんか一歩たりとも近寄らなかったぜ。でも今までにないようなビデオなりの美しさを表現してやったぜ」みたないことを李屏賓が言っているらしい(勿論彼はそんな言い方はしてないと思うけど)。とりあえず誰か翻訳して日本語版出版して頂戴な。


それにしてもJamie CullumRihannaのカヴァーが素晴らしい。Rihannaなんかよりよっぽどブラックだわな。ビデオもかっこいい。YAMAHAが吹き飛んどる。


この一月を振り返る、そして死

昨年の秋くらいに貯金を決意したから、冬服を全く買わないで持っている服だけで2009年から2010年の冬を凌ごうと思っていたのだけど、真性消費家みたいなところがあるので、2日にセールに出かけてしまって、ついつい予算を越えたブルゾンを買ってしまった。30%Offでこの値段かと躊躇している自分に「着てみるだけどもどーぞ」と声をかけてくる店員。その言葉来たかと敏感に反応する自分。この言葉は着ろ着ろ詐欺の手口みたいなもんだ。着てみるだけという言葉に騙されて着てみたら、ああやっぱりいいよなと思ってついつい買いたくなるのは目に見えている。しかし自分はもうこの言葉を耳にしたときには気持が殆どある一方に傾いていた。なので、だまされたふり作戦ということだ。「着たら買いたくなっちゃいますからね」と言いながらも「着てみます」と店員にブルゾンを渡し、いざ腕を通してみると、ああやっぱり買いたいという気持が込み上げてくる。自分は騙されているんじゃない、自分の意志で、買いたくて買うのだ、と決心し「お願いします」とブルゾンから腕を抜いた。こんなことだから、いつまで経っても貯金が成功しないのだ。
そういえば最近はジャンパーって言わなくなったものだ。子供の頃はジャンパー、ジャンパー言っていたし、テレビでジャンパーソン見てたけど、すっかりお洒落気取ってブルゾンなんて言うようになったものだ。ジャンパーは英語で、ブルゾンはフランス語であるが、決してフランス気触れではないのだ。どっちかというとアメリカ気触れである。


ユニクロが民族大移動とからしいが、年末にはウェンディーズが唐突に総撤退していって驚いたが、そんな殆どいったことのないウェンディーズの話などより、タイムズスクエア内のHMVの閉店のほうが衝撃的だ。数字が云々よりも消費者に最も身近な販売店が減るところを目の当たりにすると、やはりCDは売れてないのかと実感する。あとは雑誌だ。次々と伐採されていく樹木のように、次々と廃刊、廃刊、また廃刊と消えていく。
ネットが世界を浸食していく。カタチあるものは消え去り情報のみが伝達される。
書籍も消えていくのだろうか。例えば、最近ようやく読み始めた大江健三郎の「水死」が電子書籍として発売されて、Appleから発売されるかもしれない、憶測でiSlateと呼ばれているタブレットディヴァイスで読まれる日が来るのか。通勤電車の中では皆がそれを持ち、書籍を開く者が少なくなる。無論、新聞もデータ化され、発売されるので、電車内で迷惑なほどに新聞を広げる輩も減少すればそれはそれでいい。


電車内といえば/家路に向かう電車に乗っていた。とある駅で眼鏡をかけた可愛らしい感じの女子高生が携帯電話で会話をしながら乗ってきた。彼女は出入り口の扉に右側の腰を少し前に突き出し寄り掛かった。丁度、僕の目の前だった。髪は黒色だった。ブレザーの胸ポケットには金色の刺繍で学校名が縫い付けられていた。電話は水色だった。彼女の独り善がりなお喋りは続いた。携帯電話をしっかりと握る右手。そんな右手の小指が下唇を触れていた。そして彼女は時折そんな暇を持て余した小指を甘噛みしていた。


今年は年始早々から仕事が舞い降りてきたので、昨年の年越しは安堵感に溢れたものとなった。
今日はようやくの休みで、今年初めて映画館へ行き「かいじゅうたちのいるところ」を観たが、なんという薄っぺらさなんだと驚いた。だけどやっぱりママが好きという結末までに、他人のふり見て我がふり直せっていう過程を見るのだけど、我が儘は駄目だよっていう教訓の絵本はそもそも子供に対しての教訓であって、この映画はビジュアルを観れば一目瞭然、明らかに大人向けの映画になっているのだけど、それこそ子供騙しみたいな話を大人が楽しめるかよと思ってしまった。情緒不安定な世界観に嫌気がさした。


先日エリック・ロメールが亡くなった。89歳という年齢だったのだから大往生である。「アストレとセラドン」が遺作になったわけだが、遺作にふさわしい傑作だったと思う。ロメールの凄さは、女がどうとか、お洒落な感じとか、だらだら続く台詞とかとは全く別の、カメラポジションとかカッティングのリズムとかにあるのだと思うのだけど、それはわかっているのだけど、どうしても好意的に観ることができなかった。「三重スパイ」も台詞だらだらでしかも無字幕だったりで、集中するところが自ずと撮り方のほうにいってしまうので、それはそれで凄いよねってわかるのだけど、どうしても好きになれないのはなんでだろって思う。そもそも「獅子座」とかもわかるが好きにはなれなかった。
自分にとって凄いと感じるのと好きだと感じるのが比例しないこともあるのだと知ったのがエリック・ロメールである。ただひとつ思うのは、ロメールの映画は自分が歳を重ねてから観ると感じ方が変わっているのではないかということだ。

まんじゅうこわい

夜、煙草を吸おうとベランダに出ると、やたらと明るいではないかと気付き、咄嗟に空を見上げると、満月だった。でっかく、黄色く、丸く、夜空に浮かんでいた。新年早々、縁起がいいものだと、手でも合わせたくなる。今年こそ良いことがありますようにと。

雑煮を食べたら後は何もすることがないので、YouTube鳥居みゆきの映像探し漁っていたなら、早速、元旦のレッドカーペットの映像が上がっていて、どこかの誰かよ、仕事が速いものだな、と感心して見ていたら、ふたつ目のネタで途中落語からの引用が登場し、会場がまったくついていけず、しらーっとなってしまった。しかしこの後の展開も含めてかなり完成度の高いネタに仕上がっていて唸らされた。

まず落語からの引用が入ったネタを作った時点で、鳥居みゆきはレッドカーペットでは反応が絶対に良くないと理解しているはず。ちょっとでも落語に興味があれば、あぁ引用かってことになるのだけど、そんなのは本当に極一部だと鳥居は決めつけてこのネタを作ってる。だからこそ、その後「ここまでの部分がすべて無駄だった」という展開に持っていけて、それで蓮舫に無駄を切られるという素晴らしい着地点に辿り着けると。要するに鳥居みゆきにしてみればあそこで、会場の反応がああなることをすべて予想してるわけだ。ただ実際は無駄ではない。しっかり成立している。つまり蓮舫の無駄切りすらも、本当に無駄をきっているのか?という皮肉にもなっているのかもしれない・・というのは深読みし過ぎか。
でね、最終的に思ったのは、あれで満点大笑いになるってどーなのかねということで、鳥居みゆきがテレビに出始めた頃にこのネタをやっていたら確実に満点大笑いなんてことにはならなかったはず。ただ意味わからんで終わり。鳥居みゆきのわけのわからない暴走キャラという定着し始めた概念があるからこそ、皆、わけわからんけど面白いはず、というところの満点大笑いということ。
結果、鳥居みゆきが最近、このアルプス鳥居改め南アルプス鳥居というキャラクターを出し始めたのは、かなり絶妙なタイミングなんだと思う。やはりこの人は本当の意味で芸人だと思う。

2009年の映画、10本

2008年の映画、10本
2007年の映画、10本
2006年の映画、10本

2009年、決断のとき

夜の街を歩いていると、厚手の丸まった白紙が追いかけてくる。風に吹かれてこちらを追い抜き一歩手前を転がっていく。そいつの意思とは無縁に、ただ風に吹かれて転がっていく。車道を走る車のライトに照らされて、白さが増す。おまえはどこに行きたいのか。いや、おまえはどこに行きたいわけでもないな。風だけがおまえの行く先を決めている。
12月になったのだから、寒さが増して当たり前なのだけど、やはり12月も半ばになると寒くなってきたなと実感するし、ああ、今年ももう終わるね、という話になると、ああ、今年ももう終わるんだなとやはり実感するし、一方でただ暦の上で一周しただけのことに過ぎないというひねくれた想いも同時に抱く。クリスマス、クリスマス・・年賀状、年賀状・・大掃除、大掃除・・忘年会、忘年会・・と毎年同じ単語を心の中で繰り返し呟き、師走は忙しいというイメージを既成事実のように思い描くが、実際そんなことはたいしたことじゃないわけだが、忙しぶればそれがいいみたいな、かっこいいみたいな、暇してるとかっこ悪いみたいな、そんな世間体みたいなのは糞喰らえで、今年はもう仕事納めにしてしまったから、年末はゆっくり出来ると油断したら、昨日も今日も一足早く寝正月みたいな生活を送ってしまったから、いけないと思って明日からは、年賀状とか大掃除とかやろうと決意している。だから、きっと、年賀状は元旦に届くと思うのです。

そんな寝正月みたいな生活中に2ちゃんねるをみていたら今年のカイエの編集部ベスト10が書いてあった。

1. Les Herbes Folles(アラン・レネ
2. Vincere(マルコ・ベロッキオ
3. イングロリアス・バスターズクエンティン・タランティーノ
4. グラン・トリノクリント・イーストウッド
5. Singularidades de uma Rapariga Loura(マノエル・ド・オリヴェイラ
6. Tetro(フランシス・フォード・コッポラ
7. The Hurt Locker(キャサリン・ビグロー)
8. Le roi de l'evasion(アラン・ギロディ
9. トウキョウソナタ黒沢清
10. Hadewijch(ブリュノ・デュモン)

ああやはりアラン・レネなのですね、と思ってしまったが、やはりそれよりもオリヴェイラ。10日ほど前に101歳になったわけだが、相変わらず年1本ペースで撮っているようだ。果たして現役最年長の撮影現場というのは一体どんなものなのかというのはとても気になる。さあ、次のシーンという時に、監督が冷たくなっていることだって絶対にないとは言い切れないわけだ。それにしても日本には全く入って来ない。「夜顔」から既に4本くらいは撮っているはずだ。ベロッキオもコッポラもいつ日本に来るのか。

などと色々と書いていたのだけど、聞こえるのだ。寒い中、猫が発情している声が窓の外から聞こえるのだ。いまにも途切れそうなほどの甲高い鳴き声だ。何匹かいる。発情している。猫が発情しているのだ。夜に。
そして僕は今年を振り返る。一言で片付ける。怠惰だった。少しだけ具体的なことを付加する。やる気を出さず、何も進歩せず、ぐうたらだった。まるで駄目という一年。しかし悔いはなし。進歩はせず、しかし後退せず。現状は維持した。なんと志の低いこと。しかし悔いなし。今年は息抜き、箸休め。そろそろ褌締め直すべし。やると決めたらやるべし。
今年の変化。iPhoneにした。以上。